大井川鉄道 台風15号で土砂災害 運転再開の見通し立たず
2022年9月23日から24日にかけて日本列島へ接近した台風15号の影響で、東海地方は記録的な大雨となりました。特に静岡県では、静岡市や浜松市などで12時間雨量が9月平年の1.5倍になり、各地で土砂崩れや浸水被害が相次ぎ、死者も発生しました。
大井川沿いを走る大井川鉄道では、大井川本線の神尾ー福用で大規模な土砂崩れが発生、SNSでは、河川の高さに迫る土砂に埋もれた様子が投稿されています。
また、大井川鉄道のサイトによると、大井川本線では複数の個所で土砂流入や倒木等の被害があり、2022年9月30日現在運行再開の見込みが立っていません。
井川線では、詳しい箇所の説明はないものの、やはり複数個所で土砂流入や倒木等の被害が確認されており、大井川本線同様運転再開の見込みは立っていません。
なお、大井川本線については2022年9月26日よりバスによる代行運転が行われています。
大井川鉄道とは 大井川本線は蒸気機関車復活運転の嚆矢
大井川鉄道は、東海道本線と接続する金谷駅から井川駅までを結ぶ、65㎞の路線です。金谷ー千頭の大井川本線(39.5km)と千頭ー井川(25.5㎞)の2路線に大別することができ、両線は軌間1067㎜、直流1500Vという点では共通なものの、普通鉄道の大井川本線と90‰の急勾配を抱えラック式鉄道の井川線は互換性はなく、運転系統も車両も千頭で分断されています。
大井川本線が大井川上流の電源開発と森林資源の輸送を目的として千頭まで開業したのは1931年(昭和6年)で、それまで川に頼っていた沿線の輸送手段は激変しました。
現在の井川線に当たる千頭―井川は、大井川電力(現在の中部電力の前身)の専用線として1935年(昭和10年)に開通したのが始まりで、1959年(昭和34年)に大井川鉄道井川線として旅客営業を開始しました。
このように、もともとは資源関連の路線として開業したため、旅客輸送は非常に小さなもので、戦後自動車の普及とともに経営は芳しくありませんでした。
そこで観光客利用の増加を狙い、1976年(昭和51年)にはC11-227号機によるSL列車の運行を開始。国鉄による『やまぐち号』より3年早いSLの復活運行で、日本でSL復活運行の嚆矢となりました。
長年のノウハウを生かし、2022年現在大井川鉄道では5両の蒸気機関車を所有、旧型客車と合わせて週末を中心に観光列車として運行されています。
しかし、こうした努力にもかかわらず経営は厳しく、2014年には金谷―千頭に14往復あった列車を9往復に削減するダイヤ改正を実施。この前年に観光バス規制の一環で首都圏からの日帰りツアーに大井川鉄道が組み込めなくなった影響で、2013年の団体ツアーが50%近く減少するなどし、「電車運転のみならず、当社の収益の柱であるSL列車の運転にまで影響を及ぼしかねない状況が想定」されるためとしました。しかし、これが沿線自治体に事前に知らされることなく発表されたことから、一時は沿線自治体と大井川鉄道の間の確執騒動にもなりましたが、逆にこの事態をきっかけとして大井川鉄道が危機的状況にあることが認識され、地域経済活性化支援機構の支援を受けて事業再建計画がスタート。2015年には長年の名鉄傘下を離れて、北海道の静内でホテル事業を営む投資会社「エクリプス日高」の子会社となり、様々な増収策を打ち出すなど経営再建を進めています。
専用線として開通した井川線 所有者は現在も中部電力
井川線は、大井川本線とは全く性格が異なり、もともとは中部電力の資材運搬や千頭森林鉄道の資源輸送のために作られた路線で、沿線に人家は極めて少ない特殊な路線です。
長嶋ダムの建設により路線の一部が水没することとなったため、1990年に線路の付け替えを実施。この際、途中に最大90‰の勾配ができたことから、ラック式鉄道を採用しました。
ラック式の鉄道は、日本では1963年(昭和38年)に信越本線の碓氷峠で廃止されて以来27年ぶりの採用で、現在でも国内唯一となっており、大井川本線のSLと合わせた観光列車の運行が主力となっています。
こうした経緯もあり、今回の台風15号による被災に対しても井川線には代行輸送手段は提供されていません。