お召列車指定機のEF58 61号機が鉄道博物館で常設展示へ
お召列車指定機として製造されたEF58 61が、埼玉県の鉄道博物館で常設展示されることとなりました。鉄道博物館が2022年9月21日に発表したもので、鉄道博物館としては42両目、4年ぶりの追加の展示車両となります。
展示開始は2022年10月31日からで、展示場所は本館1階ということです。
EF58 61は、2008年の検査で台車に亀裂が見つかり、この影響で客車を牽引して本線走行することができなくなりました。今後は修理や全般検査を行わない方針が決まったため、車籍はあるものの保留車となっており、その去就が注目されていました。
EF58とは? 戦後生産された旅客用直流型電気機関車
EF58は、1946年(昭和21年)から製造された旅客用の直流電気機関車です。EF58は、1948年(昭和23年)までに製造された初期型の34両(貨物用のEF18に転用された3両を含む)と、1952年(昭和27年)以降に製造された、外観を含めて大幅に改良が加えられた改良型141両の2つのグループに分けることができます。
初期型の製造が始まった終戦直後は、貨物用の機関車が余剰となる一方で、旅客用の機関車は旅客の急増や戦時中の酷使の影響で不足していました。EF58はこうした状況にこたえるべく、戦前の機関車と同等の性能を持つことを目指して製造されました。
EF58の初期型の外観は、箱形のボディの両側にデッキを持ったスタイルで、戦前の主力であったEF57に極めて近いものとなりました。しかし、資材不足から代用品も多数用いられ、装備や安全性の省略はもちろん、施工の不良から車体のゆがみが発生する車両もあり、電気部品の故障も日常茶飯事で「粗悪品」として現場の評判は芳しくありませんでした。こうした事情もあり、50両予定されていたうち34号機までが生産されたところで生産は終了しました。
その後、日本経済の復興に伴って電化区間は延伸、旅客需要も旺盛なことから、再び電気機関車の製造が求められるようになりました。特に、東海道本線などでは高速で牽引できる機関車が必要となり、大幅にモデルチェンジしたEF58が投入されました。これが改良型のEF58で、1958年(昭和33年)までに141両が製造されました。また、初期型の33両も、1957年(昭和32年)までに改良型にあわせた更新が行われています。
折からの電化区間延伸に合わせて、長距離高速運用に耐えるよう電気機器も一新され、極めて信頼性の高い性能を得ることができるようになりました。
また、スタイルも一新され、車体両端のデッキが廃止されたことで車両いっぱいの箱形機関車となりました。このデッキはあまり意味のないものでしたが、日本で電気機関車の製造が始まったころからあるもので、従来の機関車には当然のように設置されていました。EF58はこの慣例を破り、その後の電気機関車のスタイルを作り上げました。全長が長くカーブで車両限界を逸脱するため両端に向かって絞られるような構造になっており、これが半流線形にも見えるEF58の特徴ともなりました。
また、高速長距離使用を前提としながら、その汎用性から特急列車から普通列車や荷物列車まで、幅広く使用されました。
このうち61号機は、60号機とともに1953年(昭和28年)にお召し列車専用機として製造された機関車で、EF58の中でも異彩を放つ2両でした。
発注段階からお召し列車用として指定されたため、製造したメーカーでも細心の注意をもって製造したと伝えられ、製造費用が納入価格を大きく上回ったという逸話もあります。
一般用のEF58とは、前面の飾り帯が腐食や汚れの心配の少ないステンレス製となって全周囲に延長されたことを始め、国旗掲揚装置や客車との連絡装置などお召列車として必要な装置を搭載、部品の冗長性や予備部品の搭載など故障に対する備えが強化されるなどの違いがあります。また、当初はぶどう色1号でしたが、皇室専用の1号編成と色合いを合わせるため、後に専用色に塗り替えられています。
2両製造されたのは、1両を本務機、1両を予備機として万が一の際にも万全を期すためで、61が東京機関区に、60が浜松機関区に配備されました(当時はまとまった電化区間は東海道本線くらいで、非電化区間の牽引は蒸気機関車が担当していました)。また、当初は上り、下りで使い分けたり、機回しの手間を省くためあらかじめ回送して方向転換するなどしたりする運用も見られたということです。その後次第に61号機が本務、60号機が予備として運用されることが多くなり、東海道本線系統以外の場合は他のEF58が予備機として待機することもありました。部品の劣化を防ぐため両機ともお召列車以外で使用されることもありました。
東海道新幹線開業後は、在来線のお召し列車運行が減少したため、1973年(昭和48年)に60号機のお召し指定を解除、浜松機関区で一般車と同様の長距離運用をこなしたことから、老朽化により1983年(昭和58年)に廃車となりました。
61号機は、JR東日本に継承され、引き続きお召し列車指定機として活躍しましたが、お召し列車自体の運行が稀になったことや、老朽化により使用される機会は次第に減少しました。一時はイベントなどで多用された時期もありましたが、前述のように損傷個所が発見されてからは修理も行われず、全般検査切れとともに保留車として東京総合車両センターに配置されていました。
お召し列車とは? 運転される車両は決まっている?
お召し列車とは、日本の皇室が利用する際に運転される専用列車のことを指します。そのなかでも、お召し列車を名乗るのは天皇、皇后、上皇、上皇后、皇太后、太皇太后が利用する場合に限られ、そのほかの皇族(例えば皇太子など)が利用する場合は、御乗用列車と呼ばれます。
その起源は1872年の日本の鉄道開業まで遡り、当日に明治天皇を載せて列車が運行されたのが始まりです。
ただし、お召し列車や御乗用列車という名称は、該当する皇族が乗車する列車のことを指し、特定の車両があるわけではありません。国鉄やJR以外でも、例えば沿線に伊勢神宮のある近鉄では、伝統的にお召し列車が運行され、かつては専用の車両も用意されていました。変わった例では1980年(昭和55年)年7月23日、行事に参加される当時の皇太子夫妻(現上皇夫妻)が神戸電鉄を利用したことがありましたが、当然神戸電鉄は特別車両など所有していないので、当時最新鋭だった一般車両が御乗用列車に充当されました。
しかし、一般的には警備上の問題などから、古くから専用の車両が用意されてきました。
EF58 61号機の時代の専用車両は、1号御料車と呼ばれ、1960年(昭和35年)に製造されたもので、初代から数えて3代目に当たります。20系客車をベースに、車内に皇族の乗車する御座所を始めトイレ、休憩室などを備えています。通常は随員が乗車する4両の供奉車と呼ばれる客車と編成を組み、通称「1号編成」と呼ばれいてます。
国鉄時代には、お召し列車の運転時にはこの1号編成が全国へ回送され、ほぼ専属的に使用されてきました。使用される機関車も、線区に合わせてEF58の他、特に状態の良いものが選ばれ、全国の機関区にお召し指定機関車が存在していました。
この1号編成の他、お召し列車の簡略化と小移動用などを目的として製造されたのが、157系のクロ157-1でした。この車両は貴賓車とも呼ばれ、1960年(昭和35年)に製造されました。157系を名乗っているものの、他の直流型車両にも連結することが可能で、157系の廃車後は183系や185系に連結されて運行されていました。
近年は、新幹線の延伸や特別扱いを嫌う皇族の意向もあり、移動の際はお召し列車ではなく一般車両を貸し切って運行する例が増えたため、特に2000年代以降は運転機会が激減しています。
また、お召し列車にも使用できるE655系が製造されたこともあり、1号編成は2002年、とクロ157-1は1993年を最後にお召し列車としては運行されていませんが、どちらも車籍を有したまま、東京総合車両センターにある御料車庫に厳重に保管されています。
なお、「お召し列車」という言葉は皇族が利用するために専用に運転される列車を指すことから、例えば一般の列車を貸し切って利用する場合などはお召し列車には該当しません。
逆に、皇族が利用する特別車両も、回送される際などは「お召し列車」には該当しません。