鉄道禁煙化の歴史 かつては「車内喫煙」は当たり前だった?

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2024年改正で東海道・山陽・九州新幹線の喫煙コーナー廃止へ 

JR東海、西日本、九州の3社は、東海道・山陽・九州新幹線の一部車両に設置している喫煙ルームを、2024年3月のダイヤ改正で廃止すると発表しました。

東海道・山陽新幹線では、N700系が投入された2007年以降、喫煙車が設定されず編成中の3か所に喫煙ルームが設置されるスタイルが順次標準となっていましたが、健康志向の高まりなどを受けてこの喫煙ルームも姿を消すこととなり、車内が完全禁煙となります。

東北・上越・北陸新幹線系統では、2007年までに全車両がすでに禁煙となっており、これにより営業中の新幹線はすべての車両が禁煙となります。また同時に、JR西日本は新倉敷駅や新下関駅など、山陽新幹線の8駅で喫煙所を廃止することを発表、愛煙家にとってはますます肩身が狭くなりそうです。

なお、車両に設置されている喫煙スペースは、今後非常用飲料水の備蓄スペースなどとして活用されることになっています。

大都市や路面電車を除き、かつては喫煙が当たり前だった鉄道車両 

今でこそ、乗り物や公共施設が禁煙であることは当たり前になっていますが、鉄道の歴史から見ればかつては喫煙できることは長い間当たり前でした。席についてまず一服、というのも当然の光景で、東海道新幹線が開業した際も、車内喫煙は当たり前。各座席には灰皿が設けられ、16両編成ともなるとその数は1500個を超えるという有様で、喫煙車・禁煙車の区別はありませんでした。当時の長距離列車には必須だった食堂車でも当然禁煙などという概念はなく、こちらも席についてまず一服、おなかを満たしてさらに一服というのも、お馴染みの光景でした。

古くは1886年(明治19年)、列車ごとに中等車(後の2等車で、現在のグリーン車が該当)1両を禁煙とすることが決められ、1908年(明治41年)からは一部の線区において喫煙室を設置したこともありましたが、戦前の国鉄では車内喫煙が認められているのが基本でした。特に、国の税収増加を狙って喫煙率の増加を意図的に行ったこともあり、戦後の最盛期には男性の喫煙率は80%を超えていたので、禁煙者の肩身は非常に狭いものでした。ただし、1900年(明治33年)に制定された鉄道営業法では、喫煙が禁止された車内など、喫煙禁止場所での喫煙に対して罰則が設けられています。

なお、東京・大阪などの大都市圏では、乗客の増加でさすがに喫煙が難しくなっていたのか、喫煙は「ご遠慮」となっていましたが、あまり効果がなかったため1930年(昭和5年)に省線電車は全面禁煙となりました。この名残で、国鉄時代も例えば東海道・山陽本線の東京―平塚、京都ー西明石などを走る列車は車内禁煙となっていました。禁煙となるのはこの区間内で完結する列車だけでなく、該当区間を通り抜ける列車(優等列車を除く)にも適用されました。

リニア鉄道館に保存されている、113系クハ111-1の車内 113系の前身となる111系の東海道本線東京口への投入は1963年(昭和38年)に始まった 当時の東海道本線は東京―平塚が禁煙区間だったものの、それ以外は車内喫煙は当たり前で、車内には灰皿が標準装備だった Wikipedia(国鉄113系電車)より @TOYO GTO

また、軌道法が適用される路面電車では、市街地を走り車内混雑が予想されるため、1923年(大正12年)の軌道法に基づく「軌道運輸規定」により車内禁煙が定められました。さらに、軌道法が適用されることが多い地下鉄も、古くから車内禁煙となっていました。ただし、当時は受動喫煙などの概念はなく、人ごみの中で煙草が危険であったこと、地下では防災上の問題から禁止されていたもので、喫煙者・禁煙者を分けるという発想はありませんでした。また、地下鉄車内は禁煙でも、ホームや構内は喫煙可能な場合がほとんどでした。

鉄道禁煙化の歴史 ホームは首都圏の禁煙タイム、列車は『こだま』1両からスタート

1974年(昭和49年)、首都圏の国電区間である新宿・渋谷・高田馬場・お茶の水・四ツ谷の5駅で、ラッシュアワーに首都圏としては初めて禁煙タイムが設定されました。禁煙とされたのは8:00~9:00と17:30~18:30で、人ごみの中の喫煙が他人の服を焦がす、やけどをするなどの苦情が寄せられていたため、「お願い」という建前でスタートしました。データによれば、当時の成人男性の喫煙率は83%、電車から降りた乗客の7割が煙草に火をつける、という状況でした。同じころ、都営地下鉄でも禁煙タイムが設定されましたが、こちらもお願いベースで、ほとんど効果はなかったとされています。

キハ181系の食堂車、キサシ181の車内 写真の説明によれば1982年(昭和57年)の撮影で、当然禁煙であるはずはなく、テーブルには当たり前のように灰皿が置かれているのが見える そういえば、オフィスの会議室などでも当たり前のように見られたこの灰皿も、すっかり目にすることはなくなった Wikipedia(国鉄キハ181系気動車)より @Spaceaero2

しかし、地道な広報のおかげか、2か月後にはホームで集められる吸い殻の量が1/10になったという話もあり、鉄道施設の禁煙は少しずつ定着していくこととなります。

1976年(昭和51年)改正では、テストケースとして16両編成の『こだま』のうち、最も東京よりの16号車(自由席)が禁煙となりました。これは女性や子供連れに大変好評だったそうで、『ひかり』や指定席にも禁煙車両の設置を求める声が大きく上がったとされています。

1980年(昭和55年)、国鉄の禁煙化を後押しする大きな出来事が起こります。一部の嫌煙家が、禁煙車が拡大しないこと、喫煙によって非喫煙者が受けた損害の賠償を国鉄に求めたもので、たばこの有害性が明らかになっても立法措置を取らない国、日本専売公社も責任があるとして訴訟を起こしました。これは、後に「嫌煙権訴訟」と呼ばれるもので、非喫煙者が権利を主張した日本で初めてのケースでした。

こうした声を受けて、1981年(昭和56年)には『ひかり』『こだま』とも指定席の1号車が禁煙車となりました。同じ年、在来線の特急列車でもテストケースとして、上野―新潟の特急『とき』(上越新幹線はまだ開通していません)のうち、最も上野寄りの12号車(自由席)が禁煙車に設定されました。また、この改正では禁煙マークも登場、時刻表にも記載されるようになります。

特急列車の禁煙車拡大は意外に早く、翌1982年(昭和57年)には、短編成の一部の列車を除き、急行を含めほとんどの列車に禁煙車が設置されるようになります。1984年(昭和59年)には、国鉄優等列車の禁煙車率は26%にまで向上、3年前まで喫煙が当たり前だった当時としては異例のスピードともいえますが、禁煙化は自由席が主体で、指定席やグリーン車に禁煙車が拡大するのは1985年(昭和60年)以降となります。ちなみに、1984年当時は国内航空路線でも禁煙率は30%ほどで、フライト中の喫煙もまだまだ当たり前の時代でした。

なお、嫌煙権訴訟は1987年(昭和62年)に判決が言い渡され、車内での受動喫煙は受忍限度内であるとして損害賠償は認められませんでした。当時はまだ喫煙が当たり前の世の中で、こうした判決が出ることも当時としては社会通念上妥当な範囲でした。ただし、禁煙車の設置が拡大を見せていたことから、一定の役割は果たせたとして控訴されることはありませんでした。

JR化後以降は禁煙が標準に 「禁煙車を表示する」から「喫煙車を表示する」へ

1987年(昭和62年)、国鉄が分割民営化されると、駅や車内の禁煙化は加速されることとなります。

13年前に始まったラッシュアワーの禁煙タイム導入は、JRが誕生するころには全駅に導入されることとなり、この年の7月には目白駅、原宿駅で全面禁煙が導入されました。これはテストケースとして導入されたもので、他の駅に喫煙コーナーが設置されると両駅でもこれに倣い、1994年で全面禁煙は終了となりました。

平成に入ると、優等列車だけでなく普通列車での車内喫煙も禁止する流れが強くなります。1989年に東海道本線が全区間禁煙となり、この頃から禁煙車を表示するのではなく、原則禁煙として喫煙車を表示する方法に改められます。

中京圏に投入された、1988年当時の211系 扉の上にはわざわざ「禁煙車」のステッカーがある通り、この当時は首都圏、京阪神を除くと在来線の普通列車でも喫煙が当然だった 東海道本線が全線禁煙となるのは1989年、JR東海管内の普通列車がすべて禁煙となるのは1998年ことだったWikipedia(国鉄211系電車)より @永尾信幸

禁煙化の流れは西日本から強化され、1993年までにJR西日本の全区間で快速・普通列車の全面禁煙を実施、これにJR東日本、東海、四国と続き、1999年にJR九州で全区間禁煙となりました。JR北海道の普通列車の禁煙化は、ややおくれて2006年でした。この間、1996年には16両編成の『のぞみ』のうち10両が禁煙となり、新幹線としては初めて喫煙車・禁煙車の比率が逆転しました。

鉄道の禁煙化 やがてほとんどの列車が禁煙へ 健康増進法が後押し

2003年、国民の健康維持と現代病予防を目的として、健康増進法が施行。この法律の中では、受動喫煙の防止について言及はされたものの、努力規定にとどまり、強制力は罰則規定はありませんでした。

しかし、これ以降受動喫煙防止の取り組みが国民にも浸透することとなり、2004年の九州新幹線の部分開業に当たっては、当初より全車両が禁煙となりました。

九州新幹線の新八代―鹿児島中央開業に伴い投入された800系は、所要時間が短いこともあり、全車両が当初より禁煙車となっていた 喫煙スペースも設置されなかった Wikipedia(新幹線800系電車)より @Rsa

2007年の改正では大幅に禁煙車の拡大が行われ、寝台特急などの一部を除き、JR東日本の自社内完結列車や、JR西日本ではおおむね乗車時間が3時間未満の列車など、全席禁煙となる列車が大幅に増加しました。また、新幹線ではこの年営業を開始したN700系では喫煙車が廃止され、喫煙可能なのは喫煙コーナーに限られました。列車内だけでなく、駅の禁煙化も進められることとなり、2009年にJR東海が在来線の全駅禁煙化を行うと、同じ年にはJR東保日本の首都圏、JR西日本も京阪神エリアの駅の全面禁煙化が行われました。

この流れをさらに決定づけたのは2020年の改正健康増進法の成立で、これによって鉄道を含めた公共スペースは原則禁煙が義務付けられることとなり、これに合わせる形で喫煙車や喫煙コーナーも次第に姿を消すことになりました。この時点で鉄道施設で喫煙が認められるのは、新幹線の一部に設置された喫煙コーナーや、クルーズトレイン『トランスイート四季島』『トワイライトエクスプレス瑞風』の喫煙ルーム、『サンライズ出雲・瀬戸』の一部の個室のみという状況になっていました。

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