京都地区の113系が引退へ 京都鉄道博物館で特別展示
JR西日本は2023年3月23日、京都地区で運行している113系について、間もなく運用を終了することを発表しました。
これは、同日付で京都鉄道博物館の発表した「113 系(京都支所)」特別展示のおしらせ」の中で、「まもなく運用を終了する予定のJR西日本吹田総合車両所京都支所所属「113 系電車」4両を特別展示します。」と述べられていたものです。
展示されるのはモハ112-5716、モハ113-5716ということで、京都支所所属のC5編成4両と思われます。
運用終了日についてはこの発表の中では触れられていませんが、特別展示が4月13日~18日となっており、これ以降のそう遠くない日と考えられます。
これにより、113系は関西圏から運用を終了し、全国的にも福知山地区と岡山地区での運用が残るのみとなります。
2022年改正で223系に余剰 113系の置き換えが始まっていた
JR西日本では、2022年3月改正で関西圏の列車本数が削減され、この結果ダイヤ改正後は各地で余剰車が発生することとなりました。
具体的には、京阪神緩行線の運用数が削減され、余剰となった207系、321系が福知山線の快速系統で運用されるようになったことから、福知山線の快速列車削減分と合わせて宮原の223系に余剰車が発生。これに加え、同じく快速列車系統の削減で日根野、網干に配属されていた223系にも余剰車が発生し、宮原支所に疎開留置されていました。
これらは、将来的には京都地区へ配置され、草津線や湖西線に残る113系や117系の置き換えに使われるのではないか、と1年前からSNSなどでは話題となっており、特に日根野から転出してきた223系は、関空快速用の2500番台で、塗装や座席配置がその他の223系とは異なることから、京都地区への転属後にどのような使われ方をするのかにも注目が集まっていました。
そして、大方の予想通り、2022年10月の運用修正で各地から転出してきた223系による113系の置き換えが始まり、2023年3月改正までの間に、当時在籍していた113系4連16本のうち7本が運用離脱、廃車となっていました。
さらに2023年3月改正以後は、2500番台も関空快速時代の装備のまま運用に入っていることが確認された他、草津瀬沿線の駅では、2023年3月31日をもって113系、117系が草津線から引退することが告知されています。これらの動きにより、いよいよ113系の置き換えも終盤に入っていることは明らかとなっていました。
なお、JR西日本の発表によれば、113系の引退日は「間もなく」という表記のみで具体的な日は発表はされていません。
同じく置き換え対象とみられる117系ですが、2022年10月の運用修正で一部の運用が223系に置き換えられ、京都支所に所属する6連5本のうち1編成が廃車、1編成が運用離脱となっています。
JR西日本の発表では、草津線からの引退はアナウンスされているものの、117系自体の処遇については明らかになっていませんでしたが、今回転入となった223系にも6連車はないことから、今しばらく運用される可能性もあります。2023年4月1日付の公式Twitterで113系同様、117系も引退することが発表されています。
113系 117系 京阪神地区での歩み かつてはグリーン車の連結も
京阪神地区に113系が初めて投入されたのは1964年(昭和39年)で、当時運転されていた80系による快速電車の一部を置き換える目的で投入されました。113系の投入先としては、東海道本線東京口と横須賀線に次ぐ3番目の路線となりました。なお、当時の京阪神地区の快速列車は、80系や113系を使用した米原・京都ー神戸・明石・姫路の快速電車の他、客車による東海道・山陽本線の長距離普通列車が快速列車としてのパターンダイヤに組み込まれており、客車列車と電車では停車駅も異なっていました。
113系の投入当初は、後の基本編成と同じ7両編成でしたが、長距離客車列車には1等車が連結されいた(当時は普通列車であっても中距離以上の列車には多くの場合1等車が連結されていました)ため、1966年(昭和41年)より一部の編成にグリーン車を連結、この編成は8両編成となりました。付属編成として4両編成も用意され、基本編成7両(または8両)と付属4両編成と組んで運用されるスタイルはJR化後まで続くことになります。
1970年(昭和45年)の前には、万博輸送用として当時最新であった113系や103系が大量に関西地区へ投入され、東京に比べ旧型車両が多く、並行私鉄からも見劣りした京阪神地区の車両は、これをきっかけに近代化が進むこととなります。しかし、万博輸送終了後に余剰となる113系の一部は東京へ転属される予定で、塗装も横須賀色となっていましたが、新車を手放したくない大阪鉄道管理局の策略により、転属より前に余剰車を活用する形で、横須賀色113系による新快速が運転を開始。当初は日中のみ毎時1本、1日6往復というものでしたが、1972年(昭和47年)3月改正で153系による運行となり、15分間隔の今のダイヤが誕生します。1972年改正では、岡山以西から直通してくる80系による快速列車も113系に置き換えられ、京阪神地区の快速は113系に統一されました。
1974年(昭和49年)には、湖西線が開業。このうち直流区間用(当時は永原ー近江塩津にデッドセクションがあった)として113系が投入されます。ただし、湖西線は冬季には降雪量が多いことから、113系を名乗りながら寒冷地仕様の115系の構造を取り入れた700番台となりました。1980年(昭和55年)には草津線が電化され、湖西線と共通運用を組むため仕様をそろえた2700番台が投入されました。
同じ1980年には、老朽化が進んでいた153系の置き換え用として117系が登場。国鉄の車両と言えば全国統一、よく言えば効率的となりますが、悪く言えば画一的で必ずしも地域の実情に合っていない例も存在していました。117系は当初より京阪神地区で新快速として運用されることを前提とした車両で、当時の国鉄としては、特定の地域で運行されることを前提にその地域に合わせた車両として画期的な存在でした。この年には、利用不振だった快速列車のグリーン車が廃止となり、また岡山方面との直通列車も廃止、米原―姫路を中心とした現在の運行体系が出来上がりました。
しばらくは新快速が117系、快速が113系を中心とした運用が続きましたが、1989年に221系の投入が始まると、初期車を中心に置き換えが進みます。特に、非冷房で残っていたグループの中には、他線区に転属することもなく廃車になった車両もありました。
221系と223系の増備により、1999年に117系が新快速から撤退、113系も運用が縮小し2004年で京阪神快速から撤退、一部は岡山や広島、下関へと転属しました。
その後は福知山線や湖西線、嵯峨野線、草津線などで使用されていましたが、2010年に嵯峨野線での運用を終了。さらに225系の投入で2012年に福知山線の快速運用が終了したため、大阪駅では見られなくなりました。
今後湖西線、草津線からの引退により、京阪神地区からは完全に引退、113系の運用が残るのは福知山地区と岡山地区のみとなります。