485系と58654号機『SL人吉』 相次ぎ引退が発表される 老朽化と修理部品入手困難

車両のはなし
スポンサーリンク

アマゾン タイムセール

人気の商品が毎日登場。

タイムセール実施中

スポンサーリンク

アマゾン タイムセール

人気の商品が毎日登場。

タイムセール実施中

485系『華』『リゾートやまどり』と8620形58654号機『SL人吉』 相次いで引退発表

JR東日本が保有する485系『華』『リゾートやまどり』と、JR九州が保有する『SL人吉』牽引の8620型蒸気機関車58654号機の引退が、相次いで発表されました。

これらは2022年10月24日の報道やプレスリリースで明らかになったもので、485系『華』は2022年10月30日、『リゾートやまどり』が2022年12月10日をもって運行終了となります。

『華』『リゾートやまどり』は、定期運用から引退した後も残されていた最後の485系で、両編成の引退により485系はその活躍に終止符を打つこととなります。

また、8620型58654号機は、JR九州の「58654 号機 百歳記念イベント」の中で発表されたもので、2023年度末(2024年3月頃)で運行を終了することが告知されています。

三電源対応のオールマイティ 485系とは?

485系は、1968年(昭和43年)から1979年(昭和54年)まで製造された特急型車両です。

1960年代は地方幹線にまで電化が進められましたが、東北地方や北陸地方、そして九州では地上設備が少なくて済む交流電化が多くの区間で採用されました。このため、すでに直流で電化されていた首都圏や関西圏と直通運転を行える車両が必要となり、交流、直流どちらでも対応できる車両として製造されました。

485系の前身として、1964年(昭和39年)の金沢ー富山交流電化に合わせて西日本地区の60Hz専用として481系が、1968年の東北本線盛岡電化に合わせて東日本地区の50Hz専用として483系が製造され、485系はこれらを統合して同年より製造がはじまりました。485系は直流、交流50Hz、交流60Hzに対応していることから3電源対応とも呼ばれ、日本中の電化区間ならほぼ走行することが可能になっており、電化に合わせて特急列車網の拡大に大きな貢献をすることとなりました。

ただし、電動車以外のクハ481、サロ481、サシ481などは電源方式が関係ないため、481系からの続き番となっています。

先頭形状は当初は151系の流れをくむボンネット構造でしたが、1972年(昭和47年)からは将来の分割併合運転に対応するため583系に似た高運転台貫通型となり、新たに200番台となりました。ただし、当時の特急列車は長大編成が基本で分割併合を行う機会は少なく、さらにせっかく設定されても貫通扉は使用されないケースが多かったうえ、隙間風や腐食が進む原因となったために溶接されて使用不能となる例もありました。このため、1974年(昭和49年)から高運転台ながら非貫通となった300番台が製造されています。

中間車は基本的に続き番となっていますが、1972年製からはエアコンの室外機構造が変更され、これがボンネット時代の中間車か以降の増備車かを判別するポイントとなっています。

485系ボンネット
ボンネットタイプのクハ481を先頭とした485系『白鳥』 ボンネット時代に製造された車両は、1両目にみられるようにエアコンの室外機が通称キノコ形と呼ばれる分散集約型を先頭車・中間車ともに搭載したが、1972年からは冷房出力向上のため2両目に見られる分散式に改められた ただし、パンタグラフ搭載のモハ484(写真では3両目)は搭載スペースの関係で集中式が採用されている Wikipediaより 

また、信越本線を経由する特急列車のため、碓氷峠でEF63と強調運転できるよう仕様を変更した489系が、1971年(昭和46年)より製造されました。485系に準じ、1972年製からは高運転台、空調室外機の変更が行われています。

EF63+489系白山色
EF63と強調運転を行い、碓氷峠を下る489系 信越本線の主力列車『あさま』や、上野―金沢をロングランする『白山』に充当する目的で製造されたが、基本性能は485系と同じなので、碓氷峠を通らない『雷鳥』『北越』などととしても広範囲に使用された Wikipediaより

485系は、481系、483系、489系を合わせて国鉄特急車両としては最多となる1,453両が製造され、北海道から九州まで広く使用されたため、国鉄時代からJR初期ごろまでは特急列車の代名詞として存在していました。

スーパー雷鳥登場時
1988年から運行を始めた『スーパー雷鳥』 1990年代初めは『スーパー~』が全盛期となるが、その嚆矢となった 先頭の展望車はサロ481とサハ481からの改造で、窓割に相違がある 2両目は国鉄末期に和風グリーン車「だんらん」として使用していたサロ481を再改造したもので、もに元をたどれば余剰となっていた食堂車サシ481からの改造車で、窓割に特徴がある Wikipeidaより

また、地域の事情や後発の車両との差を埋めるため様々な改造車も登場し、バリエーションも実に豊かなものになりました。

485系3000番台
JR化後は徐々に新型車両へ置き換えられたが、両数も多かったため大規模な更新工事の上、使用される例も多かった 青函トンネルでは、新幹線の開業後は在来線車両が不要となることが決まっていたため、積極的な新型車両の投入は控えられ、外観を含めて大幅にリニューアルした485系3000番台が登場した Wikipediaより

2000年代以降になると、各地で新型車両による置き換えが少しずつ進み、数を減らす一方で、大規模な更新工事を受けて容姿が一変する例も見られるようになりました。また、余剰となった編成がジョイフルトレインやイベント列車として改造されるケースもありました。

2017年3月改正で新潟―糸魚川を結んでいた485系による快速列車が廃止、これによる485系による定期運用は終了し、残されていたのは『華』『リゾートやまどり』の2編成だけとなっていました。

100歳を迎える58654号機 8620形とは? 最高傑作機の呼び声高い蒸気機関車

これと同じ日には、JR九州から『SL人吉』の牽引機である8620形58654号機が、2023年度末をもって引退することが発表されました。JR九州は、引退の理由として「落成から100年を超えて老朽化が著しいことや、部品の調達やメンテナンスを担う技術者の確保が難しくなっていることなど」を挙げています。

58654号機『SL人吉』
『SL人吉』の運用につく8620形58654号機 もともとはオリジナルに近い容姿だったが、専用の50系客車の完成に合わせ1992年に水戸岡鋭治氏によるデザインに改められた Wikipediaより

8620形蒸気機関車は、1914年(大正3年)から製造された、中型の蒸気機関車です。

当時は全国各地に路線の拡張が続き、線路の改良ともあわせて列車網が拡大されていた時代で、1912年(大正元年)には輸入した蒸気機関車を使用して東京―下関に特別急行列車が設定されました。

しかし、これらの輸入機関車は出力が過大で、東海道・山陽本線以外では持て余し気味となることから、8620形はより汎用性が高く小回りの利く機関車として、今後の技術向上を目的に日本国内で設計、製造されました。

設計当初の狙い通り、当時の日本の需要に応じた使いやすい大きさで、性能も安定していたことから、1929年(昭和4年)までの間に672両が生産されました。後に需要の増加で大型機関車が投入されると、余剰となった分はローカル線に転じて使用され、汎用性の高さと客貨両用である性能を活かして北海道から九州まで広く運用されました。こうした使い勝手の良さから、ついに8620形を凌駕する蒸気機関車は製造されず、国産蒸気機関車の最高傑作とも呼ばれています。

58654号機は、8620形のうち435番目として、1922年(大正11年)に製造されました。2022年には、100歳の誕生日を迎えることになります。

8620形の進番方法は特殊で、8620号機からスタートし、8699号機(80両目)まで進んだ時点でそのままでは8700形と重複してしまうため、5桁目に1をつけて8699号機の次は18620号機(81両目)と命名されました。8620形はその優秀さから大量増備されたため、さらに18699号機(160両目)の次は28620号機(161両目)・・・となり、58654号機は435両目となります。

58654号機は、長崎本線に新製配置された後一貫して九州各地で使用され、1975年(昭和50年)に湯前線(現在のくま川鉄道)で8620形として最後の運用をこなし、その年に廃車となって人吉市に譲渡され矢岳駅前に保存されました。

現役当時の58654号機
湯前線で使用されていた当時の58654号機 書類上は現在国内で運用されている中で最も古い蒸気機関車だが、ボイラー、キャブ、動輪、台車は新調されており、新製当時から使われている部品は少ない Wikipediaより

JR九州発足後、九州内でSL列車の運行が模索され、保存状態のよかった58654号機に白羽の矢が立つことになります。しかし、いくら保存状態が良好でも営業運転には耐えられず、ボイラー、運転室、動輪は新製され、書類上は新製車両として1988年(昭和63年)に現役車両として復活しました。

しかし、車体全体の老朽化は避けられず、2005年には台車の歪みが発生して単独牽引が不可能な状態となり、一時は廃車される危機に陥ったものの、製造元である日立製作所に新製時の図面が保存されていたことが判明。これをもとに台車を新製して2009年に再び営業運転を再開していましたが、製造後100年を経過しさすがに老朽化も進んでいることから、運用終了となる見込みです。

JR西日本でも、ボイラー周りの損傷でC57‐1号機が長期にわたり運用を離れ、修理の目途が立っておらず、今後ますます老朽化が進んでいくSL維持の難しさが浮き彫りとなっています。

タイトルとURLをコピーしました