大出力機関車として登場
製造されたものの、故障続きで、本来の性能を発揮できなかった車両。
設計時と製造後のギャップが大きく、本来とは違った用途に使わざるを得なかった車両。
言い換えれば不運だった車両もいろいろありますが、今回はEF200電気機関車のお話です。
EF200は、1990年に試作機が当時した平成生まれの機関車です。
当時日本はバブル景気の真っ只中、分割民営化の効果もあり、旅客輸送はもちろん貨物輸送も好調がつついており、このまま輸送量の増加が続けば大出力機関車が必要となることが予想されました。特に東海道・山陽本線では、より大編成の貨物列車を高速でけん引できる直流機関車の登場が望まれるようになりました。
JR貨物では、EF66やEF81を増備して輸送力増強を図っていましたが、将来の更なる輸送力増強と在来車の置き換えを兼ねて新型機関車を投入することとなりました。こうして登場したのが、EF200です。
これまでの機関車とは大きく変わり、直流機関車の象徴である青を取り入れながら、ベースは白、乗務員扉は黄色のアクセントをつけ、外観、配色ともヨーロピアンスタイルとなりました。
出力は大幅にアップし、それまで最強だったEF66の1.5倍の6000kwと、狭軌の機関車としては世界最高クラスとなり、標準軌の機関車に匹敵する出力を誇ります。
ハイパワーが仇に 本来の性能は発揮できず
EF200は、1990年に試作機901号機が、1992年~1993年に量産機1-20号機が製造されました。21両全てが当時の新鶴見機関区へ配置され1990年の改正から始まった、東海道本線のコンテナ車26両による1300t列車の牽引機として、EF66とともに使用されます。
JR貨物では、更なる輸送力増強のためコンテナ車32両による1600t列車の計画を進めており、地上側の準備が整い次第運行を開始し、EF200はこの列車の先頭に立つはずでした。
しかし、1990年代半ばは景気後退が続き、貨物列車の輸送量は伸び悩みとなりました。また、EF200が全力運転を行うには4000A(アンペア)という膨大な電流が必要で、変電所への負担が大きく、設備を保有する旅客会社から対応へ難色が示されました。こうした状況から、EF200はその性能をEF66と同等に制限されることになりました。
このため、EF200は合計21両で製造打ち止めとなり、以降は性能はそこそこながら汎用性に優れたEF210が製造されることになります。
早期に運用離脱 廃車へ
2007年には山陽本線でも改良工事が終了し、1300t列車の運転が始まり活躍の場を広げますが、21両という少数機であるため次第に部品の補充も困難になってきます。
2008年には1号機が部品取りとして運用を離脱、2011年に廃車となりました。残り20両は、2009年までに全車塗装変更を受けしばらくは活躍が続くかに見えましたが、やはり補修部品の生産終了や汎用性に欠ける点から順次運用を離脱、2019年3月にラストランを行い全車が活躍を終了しました。
同時期に製造されたEF66の100番台が全車健在、15年以上先輩のEF65が50両以上健在なことを考えると、短い活躍でした。
EF210は、1996年の量産開始以来2018年度に至るまで増備が続いており、EF200はその高性能故に活躍の場を狭めることになってしまいました。もし、好景気がもう少し続いていたら、EF200本来の活躍が見られたかもしれません。
また詳しくお話しする機会は設けようと思いますが、いま世界の鉄道のキーワードは「汎用化」とも言われてます。EF200、EF210の関係は、まさしくこの通りかもしれません。
もっと不運だった交直両用機関車
EF200と時を同じくして、同等の性能を持った交直両用のEF500も試作されました。主に東北本線や日本海縦貫線での使用が想定され、試験走行が行われましたが、EF200同様出力過剰による変電所出力の問題、対象線区の需要、その他技術的な問題もあり試作機901号機のみ製造で終了しました。1994年以降は休車状態で、2002年に廃車となりました。
また、EF500の出力を落として4軸駆動としたED500が1992年に日立製作所で試作され、JR貨物に貸し出され性能試験が行われましたが、予定された性能に達せず1994年に返却、その後解体されました。
いずれも実働どころか実走行自体が数年というもので、機関車としては実に寂しい一生だったといえるでしょう。ただ、この時の試験結果は後のEF510、EH500開発に活かされています。