原爆投下、広電も大きな被害受けるも、3日後に運転再開
今日8月6日は、広島に原子爆弾が投下された日です。74年前のこの日、10万人を超える市民の命が失われました。
広島市内を走る広島電鉄でも、大きな被害を受けました。市内電車123両のうち108両が被災、変電所や架線、橋梁もほとんどが損傷を受け、職員も200名近い殉職者を数え、広島電鉄は壊滅的な被害を受けたのです。
しかし、郊外に疎開させていた変電所の被害が軽微であったことから、3日後の8月9日にはごく一部で運転を再開、一面ガレキと焼跡の中で走り出した電車の姿は、多くの市民を勇気づけたとされています。
被爆電車とは? その日も走っていた広電650形
この被災した108両のうち、今なお存在する車両、それが広島電鉄650型651~653の3両です。
650型は1942年に5両が製造された当時の新鋭車でした。原爆投下時刻はちょうど朝のラッシュでもあり、全車両が営業中に被災しました。特に、被災から3日後に撮影されたとされる、爆風に吹き飛ばされ焼け焦げた651の写真は有名です。
このうち、被害の軽かった652は8月中に復旧され、特に被害の大きかった655を含め1948年までに全車運転を再開しました。写真の651も、1946年3月に復旧されています。
その後、655はトラックとの衝突事故で1967年に廃車、654も2006年に除籍され、現在残るのは651、652、653の3両でこのうち、653は往時の塗装に復元され、専ら原爆関連のイベントに使用されています。残る2両は現役ですが、さすがに製造から75年が経過、収容力の小ささや、最高時速35km/hという性能から、朝ラッシュの予備車的存在となっています。
原爆だけでなく、先の戦争自体の記憶が薄れていくことは、世代交代が進む以上当然ですし、新たに記憶されることかないことを祈るばかりです。そんな中、かつての惨劇の生き証人として、末永く活躍して欲しいものです。